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センター案内

所長挨拶

 自然科学は凛とした学問です。素粒子から宇宙に至る自然界の命あるもの・ないものすべてを対象とし、真実に基づいて法則性を見出していく学問です。ある実験を同一の手順で正確に行えば、年齢、性別、人種、民族、国籍、宗教などの違いによらず、同じ現象が観察されます。この自由で公平な学問には、偏見も差別も存在する余地はありません。歴史的には、宗教との対決の場に立たされたこともある自然科学ですが、現代では理学や工学から医学、歯学、薬学、農学、宇宙、環境、エネルギー分野など多岐にわたる上、バイオテクノロジー、エレクトロニクス、機能性材料や地球上には無かった新化合物の創製など最先端の科学技術の牽引に欠かせない基盤的学問となっています。

 自然科学には、文化など人間的な要素が除外されているように感じる向きもあるかもしれません。ところが実際には、研究のプロセスやゴールには人間的要素も色濃く反映されているように思います。日本の自然科学研究者の端くれとして、感じるところを述べてみます。私は、30余年にわたり物質・材料を研究して気付いたことがあります。それは自然科学と技術に対する日本人独特の潜在的な意識です。どうやら欧米人とは根源的な違いがありそうで、例えば家電製品などの形となって現われているように思います。日本製品はユニークで、時としてガラパゴス化しています。この現象を語る際に、日本人は内向きだからとか市場調査のまずさが指摘されますが、それだけで説明できるでしょうか。もっと潜在的な原因があるのではないでしょうか。

 物質・材料に関する日本の研究はオリジナリティー豊かで、長年に渡って世界最先端です。事実、LEDや触媒などを対象としてノーベル賞を幾度も授与されています。国際会議で欧米の研究者と議論すると、日本の研究はユニークだと言われますが、その理由となる日本人の潜在的な意識とは何でしょうか。欧米の研究者によれば、物質は、世界の創世記に神が創出したものであり、人が創ったものではない。神の創りしものは自然科学の領域、人の創りしものは技術の領域であるから、物質・材料の研究は自然科学である、となります。一方、日本では神の領域と人の領域を区別する意識は薄く、また物質はものつくりの基本であることから、物質・材料の研究は自然科学と技術の並立や足し合わせではなく「科学技術」という融合した領域にあるという認識です。このように、欧米人のサイエンスとテクノロジーの意識は、日本人の自然科学と技術の意識に必ずしも対応していません。欧米のサイエンスとテクノロジーは神と人との対比であり、並立することがあっても融合することはありません。しかし、日本では自然科学と技術を融合させた科学技術ということばを日常的に使います。科学技術を欧米語に翻訳するとテクノロジーが適しているようですが、技術の訳語も同じくテクノロジーですので、日本人としてはかなり違和感を覚えます。逆に、欧米人は科学技術という言葉を不思議に思うのではないでしょうか。

 日本ではいたる所で神仏人が同居し、自然科学と技術が欧米のように対比的に区別されることはありません。日本では、ねじや釘といった人の創りしものにも魂や神が宿るという表現を耳にしますが、この熱い思いは経済合理性さえ超越してガラパゴス化を生み出すこともあるのではないでしょうか。このように日本独特の精神世界が日本の研究者や技術者の根底にあるように思います。もしかすると、ガラパゴス化とノーベル賞は表裏一体なのかもしれません。グローバル化がどれほど進行しても、日本人が独自の精神世界を失わない限り、自然科学と技術の融合した科学技術は、これからも世界を先導し、未来を創り続けるに違いありません。

 自然科学研究教育センターは、多分野にわたる多様な自然科学研究者で構成されています。真理の探求を怠らず、オリジナリティー豊かな研究を展開します。これから未来へ向けて自然科学をどのように先導していくのか、世界に問いかけ、提案し続けるセンターでありたいと考えています。皆様の益々のご理解とご支援をお願い申し上げます。

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